【エッセイ】2023年版主人公的頑張る女子也。
特別お題「わたしの2022年・2023年にやりたいこと」
映画やドラマでは登場人物が真剣に机に向かって作業をしている描写のとき、その人の動きは大袈裟に演じられていることがしばしばある。
必要以上に紙の音を大きく立ててみたり、卓上に煩雑に並べられた情報に翻弄され首が赤べこのように忙しなく揺れる。
私はいつも「それって本当に集中しているのかな」と思ってしまう。
だって私が集中している時はきっと口は半開きで顔の下半身は重力に逆らおうとはせず、眉間には知らず知らずのうちに特大級のしわが寄せられているだろうから。到底人に見せられるような顔面ではない。(オンラインミーティングで気を抜いていた時にふと自分の顔をみた瞬間のそれなのである)
お仕事ドラマなどで主人公が逆境に立ち向かうべく「集中」して作業をしているシーンは、視聴者からすれば「がんばれ!!」と応援したくなる謂わば山場である。そんな時にふと冷めてしまう私の嫌いな言葉は「死ぬ気で頑張る!」だ。
そんな「主人公的頑張る女子」を現実世界で見つけてしまったのは、1月3日の夕方に買い物ついでにスターバックスで一休みしようと入ったときだった。彼女はおそらく何かを勉強していてノートや参考書、そしてまた別のノート、と机の上は紙でいっぱいになっていた。
目の前に広げられているノートのページをビシバシとめくり、キリッとした顔をして視線を卓上で縦横無尽に踊らせていた。まるでその子にだけBGMがかかっているかのようで、さながら偏差値底辺からトップ大学に合格しようとせん主人公だ。
ドラマではどうも感情移入ができなかったけれど、現実に見るとなんだか可愛いと思った。
だって今日は1月3日。
きっと「今年は頑張るぞ!」と張り切って勉強を始めたのだろう。そう思うと尊い。
その情熱の火はきっと1週間も経たずに消えてしまうのだから。
1週間も経てば、その勉強しなくてはという自分が決めた目標の義務感に辟易しながらなるべく体力を温存するかの如く最小限の動きで作業を進めることになるだろう。
いいじゃん、年始。
私の好きな言葉は「意気込み」だ。
そんな私もこうしてブログを始めた。いっつもそうだ。
日記を始めてみたり、ダイエットを始めてみたり、転職について調べ始めるのも決まって年始。
何かが終わって、始まる瞬間が、なんかすごく好き。
続けるのが大事でそして一番大変だとわかりつつも「やるぞ!」と意気込んで始めてみるという甘美な魅力には何年経っても抗えない。
きっと誰もが生まれ変わりたい欲とか、一新したい欲を心のどこかに抱えていて年始の悪魔にはそれを増長させる力があるのだと思う。きっとそうだ。
今年はどうやら年始の悪魔によって「執筆欲」というのが私の中でむくむくと大きくなったようだ。
このブログも毎週更新してみようと思う。(最初で最後の投稿にならないよう初詣で神にでも祈っておこう)
全部年始の悪魔のせいなんだから、みんなが主人公症候群にかかって髪を振り乱しながら何かを始めてみたらいいんだよ。
それを滑稽だったと思い出すのはきっと来年の年始のこと。