【エッセイ】利己的に徳を積んでいきたい/ブラッシュアップライフ1話を観て

さて、ギリギリ日曜日になって更新をすることを決意しました。

1回きりの更新にならず、私自身が安心しています。

だって、一回で終わってしまったらきっと「結局この歳になっても何も続かないダメな奴だ」と自分で烙印を押してしまうのだもの。

 

ただ、問題があります。

 

書くことがない。

 

本当に書くトピックがないのです。

平日は仕事をしていて、もちろん嫌なこともたくさんありますが

それをぐちぐち書き連ねるなんてことは途方もなくつまらないので断じて私はいたしません。

 

それ以外は趣味の読書をしていたのですが、アガサ・クリスティーの「ねじれた家」を読んでいたら半分くらいで犯人を確信してしまったことに落ち込みながら読了しました。

 

特段美味しいものを食べてもおりません。

低気圧で少し体調を崩していたけど今は元気でございます。

友人にも会ったりして、息抜きもできています。

 

あれ?

これって所謂実はすごく幸せなことだったりするのではないでしょうか。

 

じゃあそんな私は今死んで次の生まれ変わりは

可愛い/かっこいい 人間になれるのかな?と考えましたが、否。

きっと私はアンデス山脈のアルパカなどに配属されるんだと思います。

 

この考えの経緯となる元ネタはバカリズムさん脚本の新ドラマ「ブラッシュアップライフ」。

主人公がひょんなことから死んでしまい、死後の世界で来世はアリクイですと告げられます。なぜなら今世での徳が足りないため人間に生まれ変われなかったから。

 

私はこのドラマを見て我が人生を振り返りました。

 

徳ね。

でも私はあ〜人生このままでいいや〜って思っていました。

仕事もあり、

飢えず、

恋人はいないけど、

好きな友達といつでも会える環境にある。

こんな人生も悪くないな〜って。

 

だから、こうやって書くと決めたブログにさえ、

特に書きたいと思うトピックのない生活でも満足できるのです。

でも圧倒的に徳積み足りてない、と思いました。

人のために心を動かし、体も動かし、

ってことができてないんです。

 

学生の時や、もっと若い時(今でも若いと自覚してます)は「将来の自分」のために一生懸命布石を打っていた。

けど、もういまや「人の幸せ」のために動けるようになりたいとも思うし、

そうでなくてはいけないのではないかと、自問するばかり。

 

このゆるい生活は好きだけど、

来世で待ってるアルパカの人生もいいけど、

今世でもう少し、

も少しだけ、

人のために尽くせる人間になろうと思いました。

 

(さて、この気持ちの賞味期限はいつ頃でしょうね)

 

徳をつむって、

非常に自己中心的ですよね。ある意味利己的。

人間らしくて、いいなと思いました。

利己的に徳を積むことで、「人間ポイント」が溜まって

神様が人間としての能力として評価してくれて、

それで来世でも人間になれるんじゃないかな。はは。

 

では、また。